コンテンツの良し悪しを、どのように判断するか

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コンテンツの良し悪しをどのように判断するか

最近、ひとつ考えていることがあります。

「良いコンテンツって、なんだろう?」

読みやすい文章でしょうか。

役に立つ情報が書いてあることでしょうか。

たくさん読まれて、反応が集まることでしょうか。

どれも間違いではないと思います。

でも、AIを使えば、その多くは以前より簡単に作れるようになりました。

文章を整える。情報をまとめる。アイデアを出す。コードを書く。

それどころか、自分がそれほど詳しくないことでも、かなり立派な形にできます。

そこで、少しわからなくなりました。

見た目がよくできていることと、良いコンテンツであることは、本当に同じなんだろうか。

「できた」だけでは判断できなくなった

これは、AIを使っている自分自身について感じたことでもあります。

AIに聞けば、コードが動く。

文章も、それなりにきれいになる。

以前なら長い時間悩んでいたことが、あっという間に終わることもあります。

最初は、ただ便利だと思っていました。

でも、あるとき気づきました。

「できた」と「わかった」が、自分の中で離れはじめている。

コードは完成した。

でも、「なぜ、この書き方にしたの?」と聞かれたら、うまく答えられない。

文章も同じです。

読みやすい文章はできた。

でも、「ここで言いたかったことは何?」と聞かれたとき、AIが書いた言葉をもう一度読み返さないと説明できない。

それは少し変だな、と思いました。

自分の言葉で説明できるか

画面の前では、ごまかせます。

わからない質問が来たら、AIに聞けばいい。

その答えを読んで、少し整えて返すこともできます。

でも、目の前の人から突然聞かれたら、そうはいきません。

そのときに残るのは、自分が本当に理解していることだけです。

何をしたのか。なぜそうしたのか。どこで迷ったのか。ほかにどんな方法があったのか。完璧な説明でなくてもいい。

自分なりの言葉で話せるなら、その中には少なくとも自分の理解があります。

反対に、見た目はどれだけ立派でも、何も説明できないなら、そこには少し違和感が残ります。

それから、ぼくはコンテンツを見る基準が少し変わりました。

良いコンテンツは答えを渡すだけではない

以前は、読んで「役に立った」と思えれば、それで十分だと考えていました。

もちろん、それも大切です。

でも今は、もうひとつ見ています。

読んだあとに、何かを考えたくなるか。

たとえば、「なるほど」で終わる文章と、「じゃあ、これはどうなんだろう」と次の疑問が生まれる文章。

ぼくは後者に、より強く惹かれます。

すべての答えが書いてある必要はありません。

むしろ、少し余白があるからこそ、自分で考えることがあります。

「別の方法はないだろうか」「自分の場合ならどうだろう」「この条件が変わったらどうなるだろう」

こんな問いが生まれるコンテンツには、読む前にはなかったものが、自分の中にひとつ残ります。

それは知識かもしれない。疑問かもしれない。考え方かもしれない。

これがかなり大きい。

書き手にも何かが残っているか

もうひとつあります。

良いコンテンツは、読む人だけではなく、書いた人にも何かが残っている。

ぼくはそう思うようになりました。

自分で考えて書けば、当然、うまくいかないところが出てきます。

言葉にできないこともある。

理解していたつもりなのに、書こうとすると説明できないこともあります。

でも、その引っかかりがあるから調べる。考える。書き直す。

その過程で、書く前より少し理解が深くなる。

質問を受ければ、自分が知らなかったことにも気づきます。

つまり、コンテンツを作ること自体が学びになる。

この感覚をなくしたくありません。

AIを使ったかどうかは本質ではない

だから今は、AIを使ったコンテンツかどうかだけで、良し悪しを決めることはできないと思っています。

AIを使っていても、書いた本人が内容を理解していて、そこに自分なりの考えがあり、読んだ人にも新しい問いが生まれるなら、価値はある。

逆に、AIを一切使っていなくても、ただ情報を並べただけで何も残らないこともある。

問題は、AIを使ったかどうかではない。

そのコンテンツを通して、何を考えたのか。何を学んだのか。

そして、読む人に何が残ったのか。

そちらのほうが大切なのだと思います。

いまの自分が見る二つのこと

なので、最近のぼくはコンテンツを見るとき、二つのことを考えています。

読んだあと、自分の中に新しい問いや気づきが残ったか。

そして、書いた本人は、それを自分の言葉で説明できるだろうか。

文章がきれいかどうか。情報量が多いかどうか。反応がたくさんあるかどうか。

そういうものも、もちろん判断材料にはなります。

でも、これだけではわからない。

AIが簡単に「完成した形」を作れるようになったからこそ、完成品の向こう側を見る必要が出てきたのかもしれません。

何を作ったかではなく、その人の中に、何が残ったか。

そして、それを受け取った自分の中に、何が残ったか。

これを見ながら、コンテンツの良し悪しを考えています。

  • この記事を書いた人

麻倉光舟

大手SIer・飲食メディア・FinTechを経験。 現在シニアエンジニア。 サーバーサイド/設計/組織運用に関する記事を担当。

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